ブログはじめちゃいました

 「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」と綴ったのは紀貫之である。現代語訳すれば、「日記を始めてみたのだ」。もっと砕いて言えば「日記はじめちゃいました」になるのではないか。断定から透かされる照れをビシバシ感じる。

 この、ちゃいましたの恥ずかしさったら。圧倒的照れ隠し。相手の顔色を伺いながらしたり顔をかましてくる感じ。片手で頭を掻きながらちっちゃくサムズアップしてくる子供みたいな、そういう弱さも感じる。

 身近な例で思いつくのは『甘栗むいちゃいました』。別段食べる必要を感じない栗をむいちゃうことによって、見事にニーズを生み出したのである。これが例えば『甘栗むいたのだ』だったらどうであろうか。購買層の「知らねえよ」の一言で市場の闇に葬り去られてしまうことは想像に難くない。セブンプレミアムの『有機むき甘栗』はむいちゃうニーズ、そういった弱さに支えられている。

  私もいつか「ブログはじめたのだ!」などと宣えるような立派な人間になりたい。